広島大学医学部歯学部ラグビー部
平成11年の西医体

平成14年卒 小出 泰道

 今この文章を学4(7年日)として参加した2001年度の西医体を終えて書いているところである。参加すら出来なかった昨年を思えば、結果としては1回戦負けとはいえ、人数集めに奔走してくれた医学部、歯学部の後輩たちには只々感謝するのみである。今後きっと新しいラグビー部の歴史を作ってくれるものと固く信じている。ラグビー部創部30周年ということで、白分のキャプテン時代のことについて書くようにとのこと。長年のラグビー生活による頭部外傷の既往と自らのいい型減な性格が幸いして、本当に楽しかったことしか覚えていない。思い出せる事のみ記す。前年の西医体での1回戦での敗戦は自分にとって本当に悔しい思いで一杯であった。皆はよく練習もし、一生懸命であっただけに、副キャプテンとしての白分が情けない限りであった。このクラブに入った頃を思えば、医学部に負けるということ自体が悔しいぐらいの(宮崎さんが線習試合で九大に負けた時"お前ら負けて悔しくないん?俺悔しいよ一!!"と泣いていたことは昨日のことのように覚えている)感じで、自分もそう思っていただけに、本当に情けなかった。富士屋のおばちゃんの『来年は頑張ってくださいよ」との言葉を胸に神鍋を後にした。キャプテンを拝命して後、ある意味予想どうりというか、リーグ戦は敗戦の連続であった。


 明るい講題といえば西医体で敗れた山口大学に中国医科大会の雪辱戦で勝利を収省ることが出来たことぐらいであった。この後冬はひたすら筋トレに費やしたが、迎えた次年度も合宿をすれば怪我人、試合をすれば怪我人といった具合で、とうとう裏を前にして自分まで足の骨を折ってしまった。いろいろ考えた挙句、やはりもうこれは走って走って走りまくるしかないと思い、白分は走れもしないくせに部員には鬼の様な走り込みを科した。工大学長をも引退され晴れて悠悠自適の暇人となられた川崎先生の「まだまだやな一」の声に尻を叩かれるように、それこそランパス1時間に始まリ、練習の最後まで走りっぱなしの思い出しても気の毒なメニューであった。文句も言わず(内心はどうか知らないが)走りとおしてくれた部員、ことに先輩たちには本当に頭が下がる。結果参加した西医体では何とか3年越しの勝利を収めることが出来た。この1勝を優勝した時より嬉しかったとは端や土井の引退の言葉であったが、白分としても後輩に西医体で勝つ喜ぴを伝えられたとしたならばこれに勝る喜ぴはない。願わくは今後の後輩たちにもこの喜ぴをできるだけ多く経験して欲しいと思う。その上の優勝という最上の喜ぴを再ぴ味わえる目のために皆で頑張ってくれるものと信じている