広島大学医学部歯学部ラグビー部
昭和も60年代に入ると,多数,そして質の高い新入部員が入部,クラブは復活のきざしを見せつつあった。そして昭和61年,亀山泰(昭和63年卒)をキャプテンとする第三期黄金時代を迎える。我が霞ラガーズは1シーズンを通じて25試合を戦い,敗れたのがマツダ,広大本部,徳山大のわずか3チームのみという好成績。しかもその頃のマツダといえば日本代表を含み,押しも押されぬ,スクラムも押されぬ強豪であった。しかしそのチームの「目の色が変わった」と伝えられる戦いぶりは今も残る伝説である。広大本部とも本年は1勝1敗1分けで,自信をもって西医体に臨んだ。しかし,西医体では準決勝まではすべて完封するも決勝では京都大に敗れてしまう。本年の記憶に残る出来事と言えば,亀山主将が関西学生代表候補に推薦されたということもあった。(その後骨折により辞退。)


 その後も部員わずか18人となったり,平均身長165cm,平均体重60kgというクラブとしての急激なダイエットがあったりと(背まで縮むとは),様々な思春期特有の悩みがあった。しかし,人数は少なくとも,それなりの成績を残していたのはさすがという他はない。OBいわく,「なんとなくの勝ち癖」なのだそうだが,これも輝ける伝統の力だろうか。  

青年期へ