広島大学医学部歯学部ラグビー部
平成5年度のチームは西医体最強のBKを持つと言われたチームで、5度目の優勝へ向け自信満々で神鍋高原へ乗り込んだ。しかし、伏兵名古屋大学に1回戦で抽選負けするという大波乱があった。その夜、竹野屋での打ち上げは大荒れ(特にキャプテン野間(平成7年卒)を中心に)であったらしい。当時の下級生にはかなりつらい洗礼が行われたそうである。


  次代の幹部連は、ここ数年の敗戦はFWの力不足によるものと総括。FWの改革に取り組む。いかんともしがたい体格差をまとまりで埋めるべく、FWは厳しい練習をこなしていった。この年は「楽しい練習」もモットーの1つとして、雨が降ればバスケットボール、晴れていてもソフトボールなど、霞らしいのびのびとした雰囲気も重視された。これらの方針は、その年の西医体の結果には直接は現れなかったが、その秋の中国大会で久しぶりに広大本部を破るなど、少しずつ形となってゆく。この頃から第五期黄金時代と呼んでも良いのではなかろうか。すぐに涙をこぼす泣き虫キャプテン宮崎(平成9年卒)の率いる霞ラガーズは1回戦で102得点の西医体記録を樹立。2回戦では前年苦杯をなめた京都大を破り皆感涙にくれる。結果として銅メダルを獲得することとなった。


  平成8年、卒業者も2人と少なかったこともあり、大きな戦力ダウンのなかったクラブの目指すものは優勝のみであった。そんな矢先、クラブを大きな不幸が襲う。部員の藤岡宏治氏が20歳という若さでこの世を去ったのである。藤岡氏のご両親より通夜の席で「宏治はいい先輩や友達に恵まれて幸せでした」と聞き、一同止めようもない涙を流した。あまりに突然、そしてショックな出来事であったため、立ち直るのには時間を要した。しかしやがて「人生の夢半ばで倒れた藤岡のために」という思いで1つとなり、西医体をめざすことになる。長らくお世話になっている丸尾コーチ(元東芝府中)、寺岡コーチ(元法政大)の夏合宿でのしごきに耐え、神鍋での試合にのぞんだ。霞ラガーズは1回戦、2回戦と尻上がりに調子を上げ、決勝の相手ははここしばらく因縁の相手となっている京都大であった。猛烈な暑さの中、両チームの死力がぶつかりあうゲームとなった。16−11とリードして迎えた終了間際の敵の猛攻に耐え抜き、ついに5度目の優勝を手にすることとなった。